フォト
無料ブログはココログ

2021年12月12日 (日)

講演再開

 

ご無沙汰しております。

コロナ禍で講演が途絶えておりましたが、昨日、実に1年6か月ぶりに、リアルの講演を行いました。

久しぶりすぎて試合勘が鈍っており、時間配分がうまくいかず、私としてはイマイチの出来でしたが、それでも話し終えたと同時にたくさん拍手をいただき、本当にありがたい限りです。

感染状況が今後どのように推移するか分かりませんが、順調にいけば来週、1月、2月と講演させていただく予定ですので、勘を取り戻せるようリハビリを続けます。

 

来週、12月18日は、板橋区の団体さんが主催するセミナーのゲスト講師をしますので、よろしければぜひ。

事前予約が必要なようです。詳細は以下をご覧ください。

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/tetsuduki/pet/pet/1036626.html

実は、まだ資料が出来上がっていないのです。頑張らないと(;^_^

 

さて、講演の質疑応答でよく質問されることについて、今日は書きたいと思います。

「全頭の去勢不妊手術は終わっているし、餌の片付けもきちんとやっているのに、餌やりを止めるよう近所中から強く言われていて、地域の中で孤立無援です。どうしたら良いでしょうか?」

このようなケースでは、たいていは手術についても餌やりについても、ご近所に説明せずに進めています。

本来ならば、このような状態になってしまう前に、ご近所(特に被害者の方)に丁寧にご説明しながら、手術やフン尿対策を進めておくべきです。

ノラ猫対策は先手必勝。ご近隣への説明、周知を先手先手でやっていくことが、トラブルを未然に防ぐための鉄則です。

 

そうはいっても、すでに揉めてしまっている場合には、今さら過去を悔やんでも意味がありません。

挽回は簡単ではありませんが、やはり、地域に丁寧に説明して回る以外に、トラブル解決の方法はありません。

「全頭手術済なのでもう増えない」「猫トイレ設置などの具体的対策をする」「頭数管理のため、定点定時の餌やりをせざるを得ない」

以上を説明し、具体的な被害状況を誠実に聞き取りましょう。

相手への共感がすべてです。

猫トイレの作り方は、私のサイトから講演資料をご覧ください。

 

そして、何を言われても「忍」の一文字。耐えてください。

状況を打開するためには、「誠意誠実の積み重ね」しかありません。

マイナスからの逆転を狙う厳しい戦いではありますが、地道な努力は実を結びます。

 

ご近所からすでに不信感を抱かれてしまっていますので、ご近所への説明回りでは、誰か他の人と一緒に行動することをお勧めします。

信頼できる方がご近所にひとりでもいれば、その方と一緒に回るとか、あるいは、ボランティア団体さんに一緒に回ってもらうとか、です。

住宅街であれば、ほぼ確実に、ご自身以外にも餌やりしている方がいますので、そのような方を見つけて、一緒に行動できたら心強いですね。

「このお宅、餌やりしているかも・・・」という家を見つけるために、ノラさんの行動をよく観察してみましょう。

 

繰り返しますが、

状況を打開するためには、「誠意誠実の積み重ね」しかありません。

そして、「忍」の一文字。

一所懸命に頭を下げてください(餌やりは悪事ではありませんが、相手が被害に困っているのは紛れもない事実ですから、その事実に対して誠実に頭を下げましょう)。

とにかく、絶対にケンカだけはしてはいけません。

 

言うは易し、されど・・・。

大変なことは重々承知していますが、「地域で安心して暮らしていける」ために、ご近隣との関係回復を最優先にお考えください。

 

最後にひとつ。

身の危険を感じるほど事態が緊迫している場合は、餌やりは止めましょう。

住宅街のノラさんは、確実に複数の餌場を巡回しています。私の経験上、間違いありません。

ですから、猫さんが飢えることを心配する必要はないのです。

何よりもまず、身の安全を確保してください。

 

以上、地域猫活動と呼べる活動ではありませんが、よく質問されるので、私なりの考えを記しました。

 

2021年10月24日 (日)

アドバイザー冥利に尽きます

久しぶりのブログ更新です。

いったいどれだけ放置してるんだよ、って我ながら思います。

反省<(_ _)>

世の中大変ですが、一応生きております。

ワクチンも2回接種しました(笑)

 

前回のブログでご紹介した、ド初心者から地域猫活動を始めた方が、成功を重ねて、ついに「日本全国猫会議」というWEB会議に出演されましたので、ご紹介します。

この方、元々は餌やりをしたこともなく、地域のノラ猫問題に心を痛めていた、ごく普通の猫好きの方でした。

 

答えを求めて参加した愛知県の地域猫セミナーで私の講演を聴き、

感化されてしまい(笑)、

それからTNRをするために捕獲の練習をして、

講演資料を片手に町会さんに話をしに行き・・・。

今では、地域ぐるみの活動をいくつも立ち上げていらっしゃいます。

 

WEB会議の様子がYOUTUBEにアップされているので、ぜひご覧ください。

17分40秒から出演なさっている山本さんという方です。

https://m.youtube.com/watch?v=5r6QvQDNFIQ

他の出演者の方のお話も、とても参考になります。

活動にあたってぶち当たる問題への対処法も話してくださっています。

ぜひぜひ全編をご覧ください。

 

こういうのって、アドバイザー冥利に尽きますね、本当に。

全く別の方からも「資料のとおりにやって成功しています!」といううれしいお知らせをいただいています。

私はたったひとりですが、各地でみんなが無理のない範囲で動けば、必ず世の中は変わります。

 

山本さんは会議の中で、

「私も本当にただの人間で、車も持っていないし、マンション住まいなので保護もできないけれど、こんな私でもできることがあるんだということを伝えたいです。」

とおっしゃっています。

思えば、ねりまねこさんも、初めて出会ったとき、本当の初心者でした。

思い悩んでいる方、まずは行動してみましょう。

地域の人の気持ちを丁寧に受け止めて活動すれば、きっとうまくいきます。

以下の資料をご覧いただき、できるだけ内容に忠実に、なぞるようにやってみてください。

https://www.chiikineko.site/presen

みなさん、人と猫は地域で共生できます!

 

2021年1月17日 (日)

みんなで広めよう!

年末に、うれしいメールをいただきましたので、ご本人の了解を得てご紹介します。

 

その方は、ある地域でノラさんの子猫が生まれている状況に心を痛め、繁殖を止めたいと考えていました。

ですが、捕獲経験もなければ餌やりさえしたことのない、まったくの初心者さんでした。

 

なんとかしたいと思い、2019年にある市で行われた地域猫セミナーに参加し、私の話を聞いてくださいました。

そして、「地域猫活動をやりたい」と考え、問題の地域の町会長さんに話をしに行きました。

 

この時点ですごいです。まったくの初心者の方が、ひとりで町会長さんに話しに行くなんて。尊敬します。

 

ですが、町会長さんからはあまりはっきりした返事はもらえませんでした。

まぁ、無理もないかもしれません。

そこで、どうしたらよいかということで、私に相談のメールをいただきました。

いくつかアドバイスをさせていただいて、それから1年数か月。

 

久しぶりのメールには、いくつもの地域で私の資料を持参して町会長さんとかけあい、地域猫活動のコーディネートをなさっている様子が書かれていました。

ご自宅の地域の町会からはじめて、すでに3つの町会で活動が立ち上がっているそうです。

 

「猫トラブルを無くすための活動」と説明することで、地域の方からはよくお礼を言われるそうで、猫が大嫌いと言っていた方が餌場の草むしりを一緒にやってくれるなど、地域全体で協力する雰囲気になっているとのこと。

さらには、他地域の餌やりさんから相談を受けることもあり、ただの餌やりさんだった方が地域猫活動の主導者になっているそうです。

 

「各地域で地域猫活動が始まっています」

「これからも地域猫を広めていきます」

とのメール文を読み、本当にうれしくなりました。

 

コロナ禍で、ほぼすべてのセミナーが中止となっています。

ですが、以前のブログに書きましたように、私が各地に行かなくてもみなさんが地域猫活動を始められるように、資料をHPで公開しています。

これまでにも、私の資料を使って活動をはじめた、とのうれしい報告をいただいています。

みんな、ひとりではありません。

誰だって最初は初心者だったのです。

だから「ちょっとの勇気」をもって、一歩前に踏み出しましょう。

私の資料が道しるべになれば、最高にうれしいです。

 

そして、ノラ猫対策に情熱を持つおひとりおひとりが伝道者となって、いろんな地域の人々に広めていってほしいのです。

そんなときにも、ぜひ私の資料をお使いください。

地域の人々が笑顔になれば、自然と猫は地域で安住できるようになります。

そんな笑顔あふれる街を、みんなで増やしていきましょう。

 

2020年10月20日 (火)

ひとりのボランティアとして

私はいつでも、ひとりのボランティアであることにこだわっています。

 

 

 

以前にも書きましたが、ボランティアの語源は聖書に書かれている「奉仕」。これは、神に仕えるということです。

 

それが転じて「志願兵」の意となります。

 

 

 

誰に強制されたのでもない、自分の判断で、自分が価値あると思う物事に、自ら身を投じる、見返りを求めない奉仕。

 

これがボランティアだと思います。

 

 

 

自発的奉仕ですから、うまくいこうがいくまいが、すべては自分の責任であり、誰のせいでもありません。

 

逆に、精神的な意味で誰にも何にも依存していないので、心は自由です。

 

 

 

うまくいかない理由を、誰か(何か)のせいにすると、自分自身のマイナス思考の囚われ人となってしまい、魂が自由でなくなります。

 

誰でも、自分の思考から逃げられないからこそ、生きづらい訳で。

 

 

私は、いつでも自由でありたいのです。

 

 

自由な魂であるために、ひとりの奉仕者であり続けたいなぁ、と思うのです。

 

2020年10月 9日 (金)

分断から融和へ、孤立から笑顔へ

 

私が何故、地域猫活動に入れ込んでいるのかと言うと、

猫をめぐる価値観の違いから分断していた地域の人々を、融和へと導いていくからです。

 

責め立てられ孤立していたエサやりさんも、

カンカンになって怒鳴っていたおっちゃんも、

ビクビクしながら深夜にエサを置いて逃げていた人も、

沸々と怒りを溜めながら庭のフンを片づけていた人も、

みんなが笑顔になって、つながります。

 

そんなバカなと思うでしょうが、事実です。

セオリーに忠実に地域猫活動をやったことがある人なら、誰でも知っていることです。

 

どうしてそんなことが起こるのでしょうか。

 

誰もが「私は正しい」「私の思いを理解してほしい」と思っています。

活動者は、誰のどんな思いも、否定しません。

 

思いを受容すること。

ひとりではない、と思ってもらうこと。

 

地域猫活動をする人は、誰のどんな思いも否定しないのが基本です。

ですから、もしも他者を批判して回っている活動者さんがいるならば、地域猫活動の魂を理解していないのかな、と残念な気持ちになります。

活動者自身が誰かに受容してもらわねばならない側であることを示しているとも言えます。

 

なんのために地域猫活動をするのか。

それは、自己が信じる対策手法の正当性を世間に示すためではなく、孤独な人々を笑顔にするため。

 

孤独であるがために社会性に欠けていることもあるでしょう。

孤独であるがためにハリネズミのように攻撃性が剥き出しになっていることもあるでしょう。

そんな人たちが、ノラ猫対策を通して笑顔になり、地域コミュニティの中に戻ってくる。

それが地域猫活動です。

 

地域猫活動は、人々の笑顔だけをご褒美とする、無償の愛の活動なのです。

 

そのコンセプトさえしっかりしていれば、多少の手法の違いとか、誰のやり方が正しいとか、私にとってはどうでもよいことです。

 

 

先日、ある著名なボランティアさんと、久し振りに食事をしました。

その方が仰いました。

「あの〇〇さんと久し振りに病院で会ったんです。そしたら、以前とは別人のように素敵な笑顔をしていたんです。」

 

〇〇さんのお宅は広い敷地があり、毎年春には敷地から大量の子猫が街中に出てきていました。

ウワサでは、未手術の猫が100頭はいるだろう、とも言われていました。

 

先日私が食事をした方も含め、何人もの著名なボランティアさんが入れ替わり立ち替わり訪問し、〇〇さんとお話をしました。

どれだけ腰を低くして丁重に「手術をしませんか」と話をしても、全く聞いていただけませんでした。

どうやってもうまくいかず、みんなが諦めました。

 

その後、ご近所のボランティアさん(と言っても、自宅庭に来る猫を手術していただけの方)が、そのお宅に通い始めました。

「手術しましょう」とこちら側の要求を言うのではなく、

とにかく〇〇さんのお話を聞く、〇〇さんと仲良くなる、

そういうアプローチです。

 

ご近所さんとしてマメに通っては世間話をして、具合の悪い猫がいると心配していれば、薬を病院からもらってきたり、あるいはお勧めの病院を教えてあげたり。

そうやって通い続けて、たしか2年近く経った時だと記憶していますが、ついに、二人で一緒になって、全頭の手術を始めたのでした。

 

先日病院で会ったとき、〇〇さんは、猫はもうあと10頭しかいない、と以前とは別人のような笑顔で語っていたそうです。

私もその笑顔、見たかったなぁ。

 

孤独でなくなれば、不安がなくなれば、人は笑顔になり、コミュニティに戻ってきます。

 

繰り返します。

地域猫活動は、人々の笑顔だけをご褒美とする、無償の愛の活動です。

 

2020年9月27日 (日)

住民の 住民による 住民のための地域猫活動

皆さんよくご承知のとおり、ノラ猫問題は地域の住民トラブルという側面が非常に大きいです。

「外で暮らして可哀想に。せめてご飯をあげましょう」

「フン尿被害、ほんとうに勘弁してほしい」

トラブルの大半が、この両者の考え方の違いによるものです。

 

これをどうにかしないと、たとえ手術が終わっていても、ノラ猫は住民トラブルの種であり続けます。

これでは、ノラ猫は地域で安住できないままですし、住民にとっても不幸が続くことになります。

地域猫活動は、このゴタゴタを、誰のプライドも傷つけないように配慮しながら、軟着陸させます。

地域猫活動が住民相手の活動だと言われる所以です。

以上、今さらの話ですよね。

 

先日、あるボランティアさんから、注目すべきキャンペーンについて知らせていただきました。

主催はボランティアさんで、行政が支援しています。

私が特に注目したのは、チラシに書かれた以下のフレーズ。

「住民の 住民による 住民のための地域猫活動」

上手い表現ですよね~。

地域猫活動とは、地域住民が主役となって行うノラ猫対策のことを指すのですから、書かれている文言は、当たり前と言えば当たり前です。

ですが、この「当たり前」が意外と出来ていなかったりします。

「当たり前」のことを愚直に続けることが、実は一番賢いのではないか、と私は考えています。

Seyachirashi

2020年9月25日 (金)

音声解説付の資料をアップ

久し振りのブログ更新です。

ホームページに、私の講演資料に音声解説を付け加えた動画を、アップしました。

https://www.chiikineko.site/siryo

 

各地に呼んでいただくことはとてもありがたいことなのですが、私が行くことができない地域においても、音声解説付の資料を参考にして、地域猫活動に取り組んでいただきたいなぁ、と考えています。

私の資料を使って、音声解説を参考にして、地元行政の方や地元ボランティアさんが地域密着の講師となって、勉強会をしていただけたら、私としては最高にうれしいです。

 

それにしても、私、声はこもっているし、滑舌も悪くて、とても聞き取りにくいのです(´;ω;`)

自分で聴き直していて悲しくなりました。

何度も録音し直したのですが、「あぁ、俺には才能が無いんだなぁ」と、もはやこれ以上のクオリティは望めないと諦めまして、恥を忍んでアップいたしました。

皆さんのお役に立てたらいいな、と思って、結構頑張りましたので、ご活用いただければ幸いです。

 

2020年7月19日 (日)

他者の活動の批判を発信すること

 

説教臭いことを言うのは嫌いなのですが、ちょっと思うところがありましてひとこと。

時折なのですが、SNSなどで、他者の猫活動を批判しているのを見かけます。

最近も、そのようなことがありました。

色々と思うところがあるのだと思いますが、SNSなどの公の場で他者を批判するのはいかがなものかと思っています。

 

地域猫活動であれ、保護猫活動であれ、TNR活動であれ、その他の活動であれ、自分がやるべきと考えることを着実に進めることが大事なのであり、他の人が何をしようが「放っておく」という姿勢が重要ではないかと考えています。

批判することによってトラブルとなることもありますし、結果として、自身の活動によくない影響が及ぶこともあります。

 

猫活動という小さなコップの中で争っている姿は、コップの外側にいる人からすると理解できないものです。

「猫活動している人って、なんだか怖いね」と思われてしまうことは、「人と猫が共生する社会」を作っていく上で支障になるだけで、何の得にもなりません。

そういう意味で、講演資料には「他の人の活動を批判しないこと」と記載してあります。

 

どうしても社会に向かって発信すべきと思うことがあるならば、せめて、慎重に証拠を集めることが必要ではないでしょうか。

証拠とは、「誰々さんが言っている。あの人は信用できる。嘘をつくはずがない。」というような不確かなものは含まれません。

まずは、自分の目で確かめること、あるいは批判の対象である相手と話すことが必要だと思います。

 

猫活動の世界では、デタラメな噂が幅を利かせています。

このことは、この世界に関わって私が一番驚いたことです。

私は、耳に入るすべての情報を、まずは疑ってかかる習慣がつきました。

「信頼している知り合いが言っているから」程度では、信憑性があるとは言えません。

 

もちろん、多くの場合、皆さんが善意であることは疑いの余地はありません。

ですが、善意によってデタラメが拡散されています。

自分の目で見たことなど、よほど確かでない限り、「放っておく」という姿勢が大切なのではないでしょうか。

 

人間ですから、色々思うのは当然です。

仲間うちで誰かの批判をすることもあるでしょう。

ですが、世間に向かって発信することは、仲間うちで批判しているのとは別次元だと思います。

 

生きている時間には限りがあります。

人を批判するよりも、やるべきことや守るべきものが沢山あると思うのです。

 

激しく説教臭いですね(^^;

私自身も全然ダメダメなのですが、自戒を込めて。

 

2020年6月 9日 (火)

思いはつながる

先日、仕事で大変にお世話になった方が、病気で亡くなりました。

その方とは仕事観が非常に似通っていたので、その方と仕事をしていた頃は、あり得ないほど忙しかったけれど、充実していました。

いつも大声で強引だけど、本当は繊細で照れ屋で、誤解されやすい人でした。

 

思えば、多くの方を見送ってきました。

 

その昔、ある駅の周辺は、ノラ猫だらけで有名でした。

通勤帰りの多数の方が投げエサをしているようなエリアで、手のつけようがなく、地域の多くの方が困っていました。

「ただひとり、熱心に去勢不妊手術をしている女性がいる」というウワサだけがありました。

 

何年も経った頃、ひょんなことから、ウワサの当人に出会うことができました。

以来、ことあるごとに一緒に行動し、共に苦労し、また喜びも分かち合いました。

 

その方はノラ猫に対して深い慈しみの心を持っていました。

同時に、人の心の寂しさや怒り、やり切れない思いにスッと寄り添う繊細さもお持ちでした。

 

すべてのノラさんの手術が終わり、エサやりさんのご理解、ご近隣のご理解も深まりました。

かつてカンカンに怒っていた人も、すっかり彼女を信頼し、相談をする間柄になっていました。

ご近所回りをすると、「あの方は素晴らしい」と皆が口を揃えて仰るのでした。

 

ところが、急に全く連絡がつかなくなり。

ご友人に聞いても、詳細は分からないが入院しているらしい、と。

何度も留守番電話にメッセージを残していたところ、1回だけ、「ちょっと今動けないけど、またよろしくお願いします」という電話がありました。

 

数か月後、亡くなったことを知りました。

無念の棘が、今も私の心に突き刺さったままです。

 

もう、あの駅の周りにはノラ猫問題はありません。

ご友人たちがしっかり彼女の思いを継いでくださっています。

 

亡くなった後も、ご近隣は「本当にあの方は素晴らしかった」と仰っていました。

ある動物病院の先生から、「あの方の活動を継いでいる方はいるのですか?」と質問されました。

ご友人が後を継いでいることをお伝えすると、先生は「では、ご友人に、あの方と同じ料金で手術します、とお伝えください。」と仰いました。

この先生は、いわゆるTNR協力獣医さんではなかったので、事情を全然知らなかった私は、とてもびっくりしたのでした。

 

外猫への温かい眼差し。

苛立つ人の心に寄り添う懐の深さ。

地域の平和を願う思い。

 

どこまでもまっすぐな気持ち、誠実さが、人の心を震わせ、そして街を変えていきます。

口の上手さのような不純物は、むしろ邪魔かもしれません。

私はそれを、彼女から教えてもらいました。

 

あれから何年経ったのでしょう。

どうしても忘れられないのです。

 

 

2020年5月17日 (日)

世界がどんなことになろうとも

 

皆様、ご無沙汰いたしております。

いったい、何か月振りの更新でしょうか。

 

この間、世の中は大変なことになり、皆様もとても不自由な生活を強いられていらっしゃることと思います。

お仕事などで重大な局面を迎えている方もいらっしゃることでしょう。

皆様のご健康と幸運をお祈り申し上げます。

皆で力を合わせて、この難局を乗り切っていきましょう。

 

私事で恐縮ですが、職場で異動があり、4月から新しい部署で勤務しています。

なかなか忙しいのですが、特に秋が繁忙期でして、土日祝も含めて出勤が続きます。

ですので、当分の間、秋には講演などはお受けできなくなると思います。

仕方がないことではありますが、ちょっと残念でもあります。

 

さて、先日の夜、仕事後、駅から自宅への道すがら、気味が悪いほど人っ子一人いない道を歩きながら、

「世の中、ノラ猫どころではなくなっているけれど、それでもノラ猫は何も変わらず生きていて、今夜もエサを与えるために必死で通っている人がいるんだよな。」

などと考え、切ない思いがしました。

 

世界がどんなことになろうとも、人のいるところに猫はいる。

 

そういう動物なんだと思います。

なにしろ、メソポタミアの時代、人が農耕をはじめた頃から人間社会の中にいたのです。

これだけ長いお付き合いのある動物ですから、猫を人間社会から完全排除しようとしても、そう簡単にはいきません。

結局のところ、好きとか嫌いとか「あっち行け」とか言ってもあまり意味がなくて、どうやって上手く付き合っていくか、つまり、人と猫との関係を現代の人間社会に合うようにいかに整理整頓していくかが大切なんだな、と思った次第です。

 

人と猫との関係を整理する方法として、たとえば「室内飼育の推奨」があり、また「地域猫活動などのノラ猫対策」があります。

時代の流れの中で人間社会が変化し、それに合わせて、猫との関係で求められることも変わってきました。

これからも、人間社会が変われば、それに合わせて、猫との付き合い方もまた、変わっていくのでしょう。

 

変わっていくのは人間社会であって、猫はもしかすると、メソポタミアの時代から変わっていないのかもしれません。

人間社会の変化によって猫が翻弄されている、と言えなくもありません。

ですけれども、彼ら(猫さんたち)は、人間からご飯を貰って人間社会の中で生きているのですから、彼らもまた、我々と同じく、社会の変化に合わせていかねばならない宿命を背負っているのだと思います。

 

これからどんな時代がやってこようとも、猫は変わらずに人の傍らにいて、人を癒したり、笑わせたり、呆れさせたり、怒りを買ったりして、生きていくのでしょう。

猫って、考えれば考えるほど、興味深い動物ですね。

 

 

«地域の中でコツコツと続いていく