ひとりのボランティアとして
私はいつでも、ひとりのボランティアであることにこだわっています。
以前にも書きましたが、ボランティアの語源は聖書に書かれている「奉仕」。これは、神に仕えるということです。
それが転じて「志願兵」の意となります。
誰に強制されたのでもない、自分の判断で、自分が価値あると思う物事に、自ら身を投じる、見返りを求めない奉仕。
これがボランティアだと思います。
自発的奉仕ですから、うまくいこうがいくまいが、すべては自分の責任であり、誰のせいでもありません。
逆に、精神的な意味で誰にも何にも依存していないので、心は自由です。
うまくいかない理由を、誰か(何か)のせいにすると、自分自身のマイナス思考の囚われ人となってしまい、魂が自由でなくなります。
誰でも、自分の思考から逃げられないからこそ、生きづらい訳で。
私は、いつでも自由でありたいのです。
自由な魂であるために、ひとりの奉仕者であり続けたいなぁ、と思うのです。