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2020年10月 9日 (金)

分断から融和へ、孤立から笑顔へ

 

私が何故、地域猫活動に入れ込んでいるのかと言うと、

猫をめぐる価値観の違いから分断していた地域の人々を、融和へと導いていくからです。

 

責め立てられ孤立していたエサやりさんも、

カンカンになって怒鳴っていたおっちゃんも、

ビクビクしながら深夜にエサを置いて逃げていた人も、

沸々と怒りを溜めながら庭のフンを片づけていた人も、

みんなが笑顔になって、つながります。

 

そんなバカなと思うでしょうが、事実です。

セオリーに忠実に地域猫活動をやったことがある人なら、誰でも知っていることです。

 

どうしてそんなことが起こるのでしょうか。

 

誰もが「私は正しい」「私の思いを理解してほしい」と思っています。

活動者は、誰のどんな思いも、否定しません。

 

思いを受容すること。

ひとりではない、と思ってもらうこと。

 

地域猫活動をする人は、誰のどんな思いも否定しないのが基本です。

ですから、もしも他者を批判して回っている活動者さんがいるならば、地域猫活動の魂を理解していないのかな、と残念な気持ちになります。

活動者自身が誰かに受容してもらわねばならない側であることを示しているとも言えます。

 

なんのために地域猫活動をするのか。

それは、自己が信じる対策手法の正当性を世間に示すためではなく、孤独な人々を笑顔にするため。

 

孤独であるがために社会性に欠けていることもあるでしょう。

孤独であるがためにハリネズミのように攻撃性が剥き出しになっていることもあるでしょう。

そんな人たちが、ノラ猫対策を通して笑顔になり、地域コミュニティの中に戻ってくる。

それが地域猫活動です。

 

地域猫活動は、人々の笑顔だけをご褒美とする、無償の愛の活動なのです。

 

そのコンセプトさえしっかりしていれば、多少の手法の違いとか、誰のやり方が正しいとか、私にとってはどうでもよいことです。

 

 

先日、ある著名なボランティアさんと、久し振りに食事をしました。

その方が仰いました。

「あの〇〇さんと久し振りに病院で会ったんです。そしたら、以前とは別人のように素敵な笑顔をしていたんです。」

 

〇〇さんのお宅は広い敷地があり、毎年春には敷地から大量の子猫が街中に出てきていました。

ウワサでは、未手術の猫が100頭はいるだろう、とも言われていました。

 

先日私が食事をした方も含め、何人もの著名なボランティアさんが入れ替わり立ち替わり訪問し、〇〇さんとお話をしました。

どれだけ腰を低くして丁重に「手術をしませんか」と話をしても、全く聞いていただけませんでした。

どうやってもうまくいかず、みんなが諦めました。

 

その後、ご近所のボランティアさん(と言っても、自宅庭に来る猫を手術していただけの方)が、そのお宅に通い始めました。

「手術しましょう」とこちら側の要求を言うのではなく、

とにかく〇〇さんのお話を聞く、〇〇さんと仲良くなる、

そういうアプローチです。

 

ご近所さんとしてマメに通っては世間話をして、具合の悪い猫がいると心配していれば、薬を病院からもらってきたり、あるいはお勧めの病院を教えてあげたり。

そうやって通い続けて、たしか2年近く経った時だと記憶していますが、ついに、二人で一緒になって、全頭の手術を始めたのでした。

 

先日病院で会ったとき、〇〇さんは、猫はもうあと10頭しかいない、と以前とは別人のような笑顔で語っていたそうです。

私もその笑顔、見たかったなぁ。

 

孤独でなくなれば、不安がなくなれば、人は笑顔になり、コミュニティに戻ってきます。

 

繰り返します。

地域猫活動は、人々の笑顔だけをご褒美とする、無償の愛の活動です。

 

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