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2019年11月24日 (日)

「ボランティア」って何?PART2

前にも書きましたが、

http://nekoma-jc.cocolog-nifty.com/chiikineko/2018/10/post-b9d5.html

ボランティアってなんでしょう?

 

Wikipediaによれば、

「自発的に他人・社会に奉仕する人または活動」

「基本理念は、公共性、自発性、無償性、先駆性」

 

世間では、単に「金銭的に無償の活動」のことを「ボランティア」だと思い込んでいる傾向があるように思います。

ですが、私は、ボランティアの概念の根幹は、「自発性」と「公共性」だと思います。

ちなみに「無償性」とは、「他者からの見返り(賞賛なども含む)を求めない」という意味であり、単に金銭的なことだけを指しているのではないと思います。

 

ボランティアとは、誰かに指示(あるいは依頼)されて、不本意ながらしぶしぶ何かをしている人のことではありません。

自分で考え、あくまで自発的に、社会や他人に奉仕している人のことを指します。

そして、その奉仕の内容は、「公共性」をもつものです。

「公共性」とは、自分や仲間など特定の層の満足ではなく、「社会のみんなのためになる」ということです。

 

「何ものからも自由に、自主自立であること」

「公共性(=社会をよくする)のために、自発的にやっている」

これが、ボランティアであることの条件であり、誇り、矜持ではないかとも思います。

 

ボランティアとは、自らの頭で考え、自分の属する社会の向上のために自発的にアクションを起こす、自立した市民の概念(civil)ではないかと思うのです。

 

 

ボランティアは、行動としては他者への奉仕ですが、その本質は、自分自身の人生を豊かにするためのものです。

個人は、社会の向上にコミットすることで、自分のためだけの利己的な人生を歩むよりも、より人生を輝かせることができるのです。

 

「私は、ボランティアとして、こんなにやってあげているのに・・・。」

「こんなに頑張っているのに評価されず、理不尽だ。」

といった考えを聞くことがあり、「そのようなことでは辛すぎて、心がもたないのではないか」と、とても心配になります。

ボランティアは、「社会の役に立つこと」それ自体を目的とする自発的な奉仕ですから、他者からの報い(評価)は眼中にないのが、本来の姿だと思います。

そうは言っても、私もそうなのですが、頑張ったら褒めてほしいのが人情ですけれども(^^;

 

もしも、辛く苦しいのなら、立ち止まって、「自発性」と「公共性」という基本に立ち返り、活動内容を見つめてみることをお勧めします。

「誰に強制されたのでもない、自発的な活動であること」「公共的な活動であること」を踏まえて、「自分の人生を豊かにする」ためにはどうしたらよいか・・・。

どうにも辛く苦しいなら、冷静に原因を探し、すっぱりと除去(縁を切る、気が進まないことはきっぱり断る、活動スタイルを変える、など)することも大切です。

そもそも見返りを求めない自発的な活動なのですから、断るのも自由であり、何も悪いことではありません。

やるべきこと(やりたいこと)はたくさんあるのに、人生の時間は限られています。

善意をいいように利用され振り回されないように、気をつけましょう。

「誠意誠実に、でもクレバーに立ち回る。」

 

そして、これも以前に書いたのですが・・・。

行政や一般住民は、善意のボランティアを、自分の目的のために便利に使うのは、絶対に止めてほしいのです。

特に行政は、公共のために自発的に立ち上がった市民を応援し、育成し、共に歩む立場ですから、公共性の範囲内においては、自主性、自発性を最大限尊重すべきです。

「ボランティアさんに対応を依頼しました。そこから先はボランティアさんの問題なので、我々は関知しません。」というような、善意の市民を行政の下請け化することは、行政という公共そのものの組織のあり方を問われかねないことだと思うのです。

自治体によっては、ボランティアさんに対応をお願いせざるを得ない事情もあるかと思いますが、そのようなときでも、信頼関係と自主性の尊重、そして共に歩む姿勢だけは忘れてほしくないのです。

 

誰であれ、自発的に立ち上がった市民を応援こそすれ、余計な負荷をかけることは止めてほしいと、切に願います。

 

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