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2019年3月

2019年3月30日 (土)

行政に旗を振ってほしい

飼い主のいない猫にエサを与えることは、悪いことではありません。

かと言って、やらなきゃならない義務でもありません。

エサやりをするもしないも個人の自由です。

ただし、近隣に迷惑をかけてはいけません。

だから、マナーが大切です。

 

世間では大きな誤解があります。

「飼い主のいない猫にエサを与えること=近隣に迷惑をかけること」

だと思われているのです。

たしかに、エサを置きっぱなしにして手術もしていなければ、近隣迷惑になります。

しかし、マナーを守れば近隣迷惑にならない、ということがまるで知られていないのです。

迷惑でないどころか、マナーを守ったエサやりをしないと、猫の数を減らすことができません。

 

マナーとは、毎日同じ時間、同じ場所でエサを与え、猫の食後はきちんと片付けること。

そして、頭数が少ないうちに去勢不妊手術をすること。

もしも捕獲の仕方が分からないならば、行政やボランティアに相談(丸投げではない)すること。

エサを与える場所は、ご理解をいただいている場所ということになります。

定点定時のエサやりによって、流入猫や捨て猫を素早く把握して手術することができるため、頭数を着実に減らしていくことができます。

 

ところが、人の心にこびりついた「エサやり=迷惑行為」という思い込みを払拭するのは、容易ではありません。

飼い主のいない猫問題に関わったことがある人なら誰しも、

「エサを与えたら猫が増えるから、ダメに決まってるでしょ!」

というご意見に苦慮した経験があると思います。

 

この誤解「エサやり=迷惑行為」を解いていくために、行政の信用力がものを言います。

行政が苦情電話を受けたときに、

エサやりは禁止していません。ですので、エサやり自体を注意指導することはありません。ただし、近隣の迷惑にならないようにすることは大切ですので、エサを置いたままにしているなど、マナーが良くないのであれば、エサを与えている方とお話しします。

と担当者が答え、

市報やホームページでも「猫へのエサやりにはマナーがあります」と発信し続けると、

徐々に徐々に市民の中に浸透し、ボディーブローのように効いてきます。

「行政がそう言っている」というのは、かなりの重みがあるのです。

 

行政の発信によって、きちんとマナーを守っているエサやりさんが、どれだけ助かるか分かりません。

地域の有志で猫対策をしようとするときに、どれだけ後押しになるか分かりません。

 

「猫へのエサやりにはマナーがあります」

行政にはこうやって旗を振ってほしいと思うのです。

適切なエサやりによって、結果的に猫対策が進み、地域トラブルも減っていくのですから。

2019年3月23日 (土)

正義の反対は悪ではなく、別の正義

ネット上に、とても共感した記事がありましたので、ご紹介します。

1月に行われた、しぶやフォーラム2018「ちがいをチカラに、そしてカタチに2.0」というイベントのレポートです。

「“正義”の意味は、ジャスティスではなくフェアネス」

「折り合わない価値観を許容し合うのが多様性の真意」

というタイトルが私の心を射抜きました。


いくつか心に残ったセリフを書きます。

「正義の反対は悪ではなく、別の正義である」

「日本で「正しいこと」って言うと、すぐに「悪を討たなきゃいけないんだ!」って話になっちゃうけど、それは違う。
世の中には悪なんかいないんです。お互いにそれぞれの利害関係があるだけで、そのバランスを取ることなんだよねと。」

「同じ物語を共有しなきゃいけないという話になっちゃうんだけど、それもやりすぎると僕はすごくネガティブな影響が大きいなと思っていて。」



私は、多様性こそが強さの源だと確信しています。


動物を巡る活動は、どうしてもイデオロギーの対立に陥りがちですが、

相手に「勝とうとする」のではなく、

違いを「努力で克服」するのでもなく、

違いを「見ないふり」をするのでもなく、

肯定も否定もせず「ありのまま受け入れ」包含していく姿勢

が必要だと考えています。



でもそれって、な~んもポリシーがない、ってこと?

そうではありません。

他者の違いを認めるということは、自分の立場に揺るぎが無いということと同義です。

ポリシーの無い人と話していても、つまらないですよね。

自分の意見に何でも賛同してくれる人って、素直に喜べませんよね。

私とあなたは違う。あの人とこの人も違う。

むしろ、違わ「ねばならない」と思います。

「共感」という幻想は、互いの良心的誤解の積み重ねの上に成り立っています。


私、これからのキーワードは「インクルージング」だと思っています。

自分のポリシーは保持しつつ、そのポリシーでさえ多様な価値のひとつとして客観視し、多様な価値を包含して全体を俯瞰する視点を持つ。

「ノラ猫問題をどうにかしたい」という共通の立場に立っている人達ならば、それは不可能ではないと思うのです。

2019年3月 2日 (土)

情熱が社会を変える

ホームページに、市の広報誌の特集記事になった「飼い主のいない猫対策」をアップしました。

https://www.chiikineko.site/link

具体的には、沖縄県浦添市と奈良県桜井市です。

本当に素敵な内容の記事ですので、ぜひご覧いただきたいと思います。

どちらも、私がお世話になったボランティアさんが、登場しています。

人と猫の共生を目指して、猫のことだけでなく、市民生活のことも一所懸命に考えてくださっているボランティアさんの情熱が、行政マンの魂を揺さぶり、このような素敵な、温かい記事に結実するのだと思います。

先日、ある地方に講演で伺いました。打ち上げの席で、行政マンの方が思い余って涙ぐんでいらっしゃいました。

行政マンも人間なのです。

市民のために一緒懸命になっていて、しかも、行政とよい関係を築こうとしている人たちがいれば、「一緒にやりたい!」と思うのは、当然ですよね。


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