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2018年9月

2018年9月28日 (金)

地域猫活動の苦情?

右も左も分からなかった頃に、色々と教えてくれたボランティアさんがいます。

表舞台に出るのを好まない方なので、あまり知られていないボランティアさんなのですが、その方は、多くの地域で、住民を巻き込みながら、ノラさんの対策を成功させていました。

その方のおかげで、今の私があります。

あるとき、その方が仰いました。

「なぜ地域住民から苦情を言われるようなことになるのか、私にはさっぱり分からない。これまでやってきて、地域の方から感謝されることはあっても、嫌がられたことはない。」


行政担当者から
「地域猫活動のボランティアさんに対する一般住民からの苦情が多く、苦慮している。」
と言われることがあります。


改めて、地域猫活動とは何でしょうか。

様々な考え方があると思いますが、私は以下のように考えています。

  1. 地域コミュニティの内部における、ノラ猫被害対策である。
  2. 地域住民有志が近隣の理解と協力を得て活動している、または、地域住民団体(町会等)が主体的に活動をしている、または、地域外ボランティアの支援の下で地域住民が十分に理解し、協力し合って活動が行われている。
  3. 去勢不妊手術と、その後の見守り活動によって、頭数の漸減を着実に実現していく。
  4. 必要に応じて猫トイレ等の具体的な被害対策も行っていく。
  5. 被害者の心情にしっかり寄り添う。
  6. エサやり者の心情にも寄り添いつつ、エサやりマナーはきちんと守ってもらう。


以上のような活動ならば、地域の一般住民から苦情が来るはずがないと思うのです。

なぜなら、ノラ猫で困っている一般住民からすると、とても有難い活動だからです。


「エサやり者から、手術なんて自然に反する、と苦情を言われることもある。」
「とにかくエサやりさえ止めればいいのだ、と強硬に反対されることもある。」
等々、反論が聞こえてきそうですが、ここで私が言っているのは、あくまで「一般住民」です。


私も自宅周辺の対策をしましたが、
「なんかノラ猫が増えてきちゃったので、去勢不妊手術をしようと思っているんですよ~。この辺のノラ猫について、何か情報はありませんか?」
とペコペコ頭を下げながらご近所を回ったところ、
ほとんどの方が
「え?本当ですか?ありがとうございます!」
と言ってくださいました。

あげく、私のマンションの管理会社の方からは、
「救世主ですね!」
と言われ、さすがに困惑したことも・・・(^^;


私のマンションの管理人さんが退職することとなり、本日、ご挨拶をしました。
そのとき話題になったのが、もう6年も前、地域の皆で対策をしたときの思い出話です。

管理人さん
「あのときのことは、とても思い出に残っています。本当にお世話になりました。」
「地域のみんなが協力してくれて、ウチの地域も捨てたもんじゃないな、って思いましたね」

そう言って、お互いに懐かしんだのでした。


なぜ、活動自体が苦情の原因となるのでしょうか。
とりあえず思いつくのは2つのパターンです(他にもあるかもしれませんが)。
  1. 地域住民の思いよりも、猫を優先する活動スタイルである。
  2. 地域住民の立場や心情に配慮しないまま、「正論」を押し付ける活動スタイルである。
〔1について〕
言わずもがなですが、猫愛護活動の側面が強ければ強いほど、一般住民の気持ちは離れていきます。前回書いたように、現場で活動するのは愛猫家の方が多いのですが、
「猫を守るためには、猫よりも人を優先することが重要」
という逆説を理解し、実行することができるかどうか、がポイントです。

〔2について〕
人にはそれぞれ立場があります。思いもあります。プライドもあります。
そこに配慮しないで、ただ「正論」を主張しても、「不愉快な人だ」と思われるだけです。
「ノラ猫問題は地域の問題なのだから、地域住民がやるべきだ。」として、相手の心情に配慮した丁寧な説明の過程をすっ飛ばして無理に役割を押し付けたり、住民を言い負かしたりする事例があります。
結果的に協力が得られず、たとえ去勢不妊手術が終わっていたとしても、猫は地域から嫌われたままとなります。


地域猫活動って、ホントに逆説の世界だな、と思います。

「負けるが勝ち」

正論を情熱の炎のように胸の内に秘めつつ、自分自身のプライドは横に置いて、他者の心情とプライドには十分に配慮し、何でもいいのでとにかく「猫で困っていた人も、猫が好きな人も、皆が安心して暮らせる地域社会」という結果を取りに行く。
そんな活動だと、私は思うのです。

「プライドを横に置くことができる」というプライド。
それは、「正論を胸に秘めている」からこそ、為せる業だと思います。

「謝るのは無料(ただ)。猫のために、いつでも謝ります。」
という大先輩がいらっしゃいます。
私は愛猫家ではありませんが、そんな私でも、「さすがだな~。これぞ猫への愛だなぁ。」と感嘆するばかりです。


地域猫活動は、地域トラブルを解決するための活動です。
その活動自体が地域トラブルになるのでは、本末転倒です。

地域トラブルが解決するからこそ、猫が地域で安住できるのです。


理屈や手法は色々ありますが、その前に、まずは、「地域の一般住民に受け入れられる活動」であることが基本の基本だよなぁ、と思うのです。
なぜなら、地域猫活動は、文字通り「地域の中での活動」なのですから。

2018年9月15日 (土)

地域猫活動のねじれ

私は地域猫活動に入れ込んでいます。
けれども、地域猫活動の論理には宿命的な「ねじれ」があります。

「地域猫活動は動物愛護活動ではなく、地域環境改善活動」
これは、ひとつの定義です。
この定義があるからこそ、行政や地域住民との協働が可能になります。

では、地域猫活動をやっている人のうち、愛猫家でない人(あるいは動物好きでない人)はどれだけいるでしょうか。

もちろん、います。
ノラ猫の被害に堪りかねてボランティアになった方がいます。
被害対策として町会ぐるみで活動していることもあります。

けれども、活動者の大半は、猫が好きな方です。

なぜでしょうか。

たとえば私は、猫が好きでもないのに、地域が酷いことになるのを避けたくて(本音を言うと、対策しないとマズい、というプレッシャーに耐えかねて)、自宅周辺で地域猫活動をしました。

とても楽しかったのですが、それなりに大変でもありました。
有給休暇も使いました。
金銭的にも、自腹を切ることを覚悟していました。
結果的には、安い病院を使ったこともあり、ご近隣からの寄付で全額賄えたのですが・・・。

たしかに、地域の役に立っている、という実感と喜びがありました。
けれども、今、振り返ってみると、あの活動を、猫が好きでもなんでもない人がやるのは、少々ハードルが高いなぁ、と思います。

私の場合は、どのように活動すればよいかを、理屈ではよく知っていましたので、「仕方がない。やるか。」と決断できたのですが、猫好きでない普通の一般市民がそのように思うかというと、それはちょっと・・・。

猫が好きでない場合、それなりの時間、手間、お金を使ってまで、ノラ猫対策をする動機、意欲が、心に生じないのです。

必然的に、多くの場合、ノラ猫対策の担い手は、愛猫家の方々ということになります。
ノラ猫が地域でトラブルの元になっていることに心を痛め、なんとかして人と猫が共生できるようなまちにしたい、と願って、活動を始めるのです。
さらには、地域や自治体等で主導的役割を果たしているボランティアさんは、ほぼ皆が、動物愛護家の方々です。

それはとても尊いことです。
その思い、情熱こそが、地域のノラ猫問題を解決していく原動力です。

しかし、その活動は「動物愛護活動ではない」と定義されているのです。

「動物愛護家が、動物愛護でない活動を行う。」

この矛盾。
ねじれ。


ところが、このねじれを昇華するのが、地域猫活動の面白いところです。

ノラ猫が増えている地域において、「皆さん!猫を助けましょう!大切な命です!」と、訴えかければ、総スカンです。

人間は誰だって、自分の価値観に忠実に生きています。

猫を大切に思い、猫による生活被害を我慢できる人の価値観は、猫という存在の重みが上位にある価値観ですが、それは地域の多数で共有できる価値観ではありません。
ところが、「皆さん!ノラ猫の被害、なんとかしませんか!」と、訴えかければ、「おお、そうだね」となります。
「生活被害をなんとかしませんか」は、大半の人の価値観にマッチするからです。

大半の人の共感を得て活動すると、地域の中から協力者も現れます。

当たり前ですよね。
地域から総スカンを食らっている活動を手伝ったら、自分も総スカンとなります。
逆に、地域から共感を得ている活動ならば、「自分も一緒にやりたいな」と思う人が現れて当然です。

しかも、本当に被害が減少します。

不幸な命も生まれなくなっていきます。

当然、地域の皆から感謝されます。
気がつけば、嫌われ者だったノラ猫は、地域の中において、「いて当たり前」のような存在になります。
人と猫が共生する地域が、結果として実現するのです。
動物愛護の目的が、達せられるのです。


愛猫家の方が活動する場合について、まとめると、以下の流れになります。
1 愛猫家の方が、猫被害対策をする。
2 対策が進むにつれて、地域住民が猫を排除しなくなってくる。
3 猫が住みやすい地域になる(=愛護的目的が達成される)。

つまり、以下の逆説となります。

「猫好きの方が、猫を嫌がっている人のために活動すると、猫が地域で暮らしやすくなる。」

一方で・・・、

「猫好きの方が、猫を守ることだけの活動をすると、地域内で理解されない。そうすると、猫は地域住民から受け入れられない。結果、猫が守れない。」

すべてが逆説的です。面白いですね。


言い方を変えると、

「地域猫活動は、動物愛護でない活動を通して、地域における動物愛護を実現する。」

地域猫活動は、究極的には動物愛護活動と言えるのではないか、と私は考えています。



ところが。

愛猫家の方々は、「ノラ猫の被害に遭っている!」と怒っている人を相手にするよりは、大好きな猫と触れ合っていたい、と考える人も多いのではないでしょうか。
なぜなら、断然、直接的な喜びに溢れているからです。
猫を幸せにしている、と肌で実感できます。
猫が好きなのですから、当然と言えば当然です。

逆に、猫で困っている人を相手にしていても、猫と触れ合う喜びを感じることはできません。
そのかわり、地域の人々が変わっていく様子は、実感できます。


実際に活動する中で、色々なことを感じると思います。

「猫を巡る地域の人間模様が変わっていくのが楽しい」
「最終的に猫が地域で受け入れられるならば、少々のことは我慢できる」
「人間を相手にするよりも、もっと、直接的に猫を愛護する方が、自分には向いている」

どれが正しいとか間違っているとか、そういうことを言いたいのではありません。

一度きりの人生です。
しかも、誰に強制されたのでもない自主活動です。
他人からとやかく言われる筋合いはありません。

私自身は地域猫活動の普及啓発をしている身ですが、地域猫活動こそが唯一の正義などと言うつもりは毛頭ありません。

それぞれの価値観に従って行動すればよいと思います。

ただ一点、地域猫活動をするにせよ、保護譲渡活動をするにせよ、TNR活動をするにせよ、人を大切にしてほしいと、私は願います。
人を大切にすれば、なぜか、猫が大切にされるのですから。

2018年9月 7日 (金)

初心者ばんざい

セミナーのお話をいただくと、その地域の事情を事前に伺い、毎回、基本の資料に手を加えて、少しでも地域事情に合うような講演となるよう心掛けています。

「東京のうまくいっている話をされても、感心はするけど、うちの地方じゃマネはできないなぁ」

なんて思われたら、大変な思いをして頑張ってセミナーを開催してくださった主催者様に申し訳ない。

私も、謝礼はいただいていませんが、それでも交通費実費はご用意いただく訳でして、それが安くはないことも当然ある訳です。
「ああ、このお金があれば、安い病院ならば何頭手術できるかなぁ。」なんて思ったりします。

数頭の手術よりも価値があるセミナーだった、と思ってほしい。
会場のひとりひとりが、明日から変われるような何かを心の中で持ち帰ってほしい。

そんなことを考えます。


私、自分の経験でたまたま得た知識を喋ってるだけでして、しかも、先人から教えてもらったことにちょっとばかり自分の考えたことを加えただけですので、何も自慢できるものはないのですけど、私の喋りによって誰かの人生が変わるかもしれない、という重圧は、それなりに感じていたりします。

で、こんなことをつらつらと書いて、何が言いたいのかというと、最近は、セミナー資料の作成に追われていまして、しばらくブログが更新できませんでした、という、実に回りくどい言い訳なのでしたm(__)m


さて、本題です(ようやく)。

「私はこれまでに、〇〇頭も手術したのよ。」と言う方がいらっしゃいます。
たしかにそれは凄い。
絶対に私にはマネはできない。

「私はもう〇〇年やっています。」と言う方もいらっしゃいます。
長い年月やっていることは素晴らしい。
長い年月続けることは容易ではありません。
しかも、もし多くの人々のお役に立っているのだとすれば、尊敬すべきことです。


でも、あえて書いちゃいますけど、私は初心者が好きです。

初心者、それも、TNRの意味から説明しないといけないような、ド初心者さんが好きです。

何も知らなかった人が、不器用でも素朴に、一所懸命に頑張って、地域の人々とのコミュニケーションを通して、ひとつずつ学んでいく。その過程が、私も一緒になって学んでいくその過程が、私は好きなのです。

初心者だった皆さんと一緒に、泣いたり笑ったりしながら、私も成長させてもらったのです。


私の経験では、ド初心者さんが、自分の住んでいる地域で、地域猫活動を始めると、うまくいくことが多いです。

単なる地域住民ですから、愛護プロっぽい雰囲気がありませんし、下手っぴであっても一所懸命です。

渡されたマニュアルをなぞるようにして、丁寧に活動してくれます。


「〇〇さんのところの奥さんが、なんか猫の手術をするとか言って、挨拶に来たよ。ノラ猫に困っていたから、そりゃ助かるよ。よっぽど猫が好きなのかねぇ。エサやりの✕✕さんに、マナーを守るように話してくれるらしいよ。」

こうやって始まる活動が、地域から反発を食らうハズがありません。


ド初心者だった無名の地域住民が、地域のノラ猫問題を変えていく。
私は、自分自身には誇るべきものは何もありませんが、ド初心者だったあの方々こそが、私の誇りです。


あ。でも。
沢山の経験を積んでいる方が嫌いな訳ではないです(^-^)、念のため。

以前にも書きましたが、私は何故か、猫に関わる皆さんが好きです。
どんな初心者も、いつか必ず経験者になりますしね。

ただ、初心者さんは、やっぱり思い出が深いですね。

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